支援者こそプライベートが大事だと考える大きな理由
こんにちは~
このブログは臨床心理士の立場のぼく、として書いてきました。
そして臨床心理士はまごうことなく『支援者』の立場にあると思っています。
今日はその『支援者』というところに関する持論を展開したいと思います。
まず、今回のタイトル『べき』という言葉を使わせもらいました。
ぼくは本来この言葉を使うことをあまり好みません。
なぜなら、『しなければいけないこと』や『こうするのが正しい』ということは存在しないと思っているからです。
存在しないというより、人によって違う、という感じですね。
また、心理士は仕事柄か、あまり断定表現を好みません。
目に見えない心や感情、思考を扱うからです。
そんなぼくが、敢えて『べき』を使わせてもらったのは、ぼくが心理士を続ける上でこれだけは譲れない、というところだからです。
なので、この『べき』は一般化できるものではなく、あくまでぼく個人の『べき』だと思っていただけたらよいかと思います。
結論を言わせてもらうと『支援をする側は、なによりもまず、自身の健康に気を遣わなければいけない』ということです。
そして、ここでいう健康とは特に、精神的健康、あるいは精神的な安定感を持っていることを指します。
カウンセリングに行って、自分よりも具合の悪そうな人に話を聞いてもらいたくならないですよね。
極端に言ったらそんな感じです(笑)
では、それらの健康のために必要なのは何か。
個人的には、『余裕』だと思っています。
あるいは、ゆとりと言っていいかもしれません。
これは一般論としていいと思いますが、人は余裕がなくなると色々と雑になります。
スケジュール調整、体調管理、食事、言葉使い、人間関係、etc.。
これはどうしてか。
時間的余裕の無さ、肉体的疲労、経済的な不安など、これらの様々な『人から余裕を奪う要因』は、認知、思考、感情さまざまな精神活動を劣化させていくからです。
逆にそれらの、時間的余裕や精神的ゆとりがあると、視野が広がり、頭が回り、状況に適切に対処できるようになります。
だから、ぼくは余裕を作るために休みの日はしっかり休むし、プライベートを何より大事にするし、自分の好きなことをします。
プライベートの、自分にとってゆったりした時間、空間があるからこそ、支援に全力で向かえるのです。
心理職に限らず、対人援助職やその他の人と接する仕事をしている方は感覚的に分かると思うのですが、自分がしんどい時に他人の支援はできません。
いや、できなくはないのですが、パフォーマンスは確実に悪いです。
自分の健康を管理できない状態にある人が、他人の援助ができるかと言われたら、やはり難しいと言わざるえません。
だからこそ、ぼくは声を大にして言いたい。
支援者としての最大限のパフォーマンスを発揮するためにも、まずは自身の健康やプライベートを大切にしましょう!!
以上\(^o^)/