しなやかなこころで、

臨床心理士Hecoのひとりごと

【書籍レビュー】臨床心理士として『夜と霧』を読んで感じた3つのこと

こんにちは~

 

今回は『夜と霧』のレビューです。

 

いやレビューという程大層なものでもないのですが(笑)

 

まぁ、感想みたいなものです。

 


この本は、言わずと知れた名書です。

 

NHKでも何度か取り上げられてたみたいですね。

 

読みたいと思ってなかなか読めていなかったのですが、最近ようやく読めました。

 

 


著者のヴィクトール・E・フランクル第二次世界大戦中の強制収容所での体験を詳細に語った手記であり、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺、いわゆるホロコーストの体験記です。

 

和訳タイトルの由来は『 夜と霧にまぎれてナチスが人々を抹殺する』といった意味で使っていた作戦名から来ているそうです。

 

ちなみに原著のタイトルは『心理学者、強制収容所を体験する』。

 

人間は何を見るのか、何を感じるのか、人間とは何か、死とは、人生とは…深く考えさせられました。

 

同時に、臨床的にも役立つ考え方がいくつか見受けられたので、今回はそちらの考察をしたいと思います。

 

歴史的な考察や哲学的な考察は多くの方がしてらっしゃるようなのでそちらを参考にしてください。

 

 

意味への意思

 


これを語らずしてフランクルは語れないですよね。

 

教科書にも出てくるような超有名な概念です。

 

強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義されるとフランクルは言っています。

 

収容所の生活は、いつ終わるかわからないままに続きます。

 

つまり、無期限・無制限に暫定的な存在から何者にもなれない人間ということです。

 

また、

 

終わりに見通しがつかない人間は、目的をもって生きることができない。

 

とも記しています。

 

実際、臨床現場では「いつまでこの苦しみが続くのかの見通しが立てられない」「未来について考えることができない」という方がおられます。

 

このような状態にある人間を精神的に奮い立たせるには、何よりもまず未来や生そのものに目的を持たせる必要があります。

 

しかし、それでもなお「生きていることに、もうなんの期待も持てない」と諦める人も、現実にいます。

 

このような人になんと言葉をかけたらよいのでしょうか…。

 

ここで、フランクルの『意味への意思』が登場します。

 

フランクル曰く

 

わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ。

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。

わたしたち(被収容者)にとって生きる意味とは~中略~苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた。

 

いやー、もうここら辺は哲学めいてて、正直理解が及ばないところも多々ありました(笑)

 

でも、要するに、それは仕事だったり、家族だったり、他者だったり、物だったり、人によってそれぞれ違うけれど、『生きること』は各人に何かしらの要請をしていて、それに答えていくことが結果として生きる意味になる、みたいなことだと思います。

 

シンプルな『人間は生きる意味を求める生き物だ』みたいな教科書的説明では語れない高次元の概念だと思いました。

 

進むべき道に困った時や先に進めそうもないときは、『私の人生は私に一体何を要請しているのだろう』といつもと違った視点で考えることも有効かもしれませんね。

 

 

 

人間の精神的自由

 


フランクル強制収容所で約半年間生活をしていました。

 

そして、そこで生活する人間の心理を観察・分析していました。

 

多くの人はその厳しい環境に負け、というより適応するために感情を消滅させたり、暴走させたりしていた、そしてそれが至極当然だったと言います。

 

しかし、どんな人間も一様に同じような精神状態になったかと言われればそうではなく、「わたし」を見失わない英雄的な人の例も見受けられたとの事です。

 

本の中で出てくる

 

『通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲る人』

『自分のポケットマネーで薬を買ってくる監視官』

 

などがその一例です。

 

このような人の行動は、一般常識から考えると「あーそういう人いるよね。自己犠牲的な優しい人」みたいに見えるかもしれません。

 

ブログに書いてるとそこまで大した行動に映らないのは、残念ながらぼくの文章力のせいです。

 

本を読んでみるとわかるのですが、これはあり得ないことなのです。

 

上述した通り、過酷な収容所生活を送るうちに、普通は感情を消滅させたり、暴走させたりしていきます。

 

適応のためには、それが至極当然であることは読んでいく内に納得できます。

 

だがしかし、それでもなお、英雄的な行動を『選択』できる人がいるのです。

 

人間は身体的、精神的、社会的に規定された条件をものともせず、自分の自由を選択できるのです。

 

書いててわけわかんなくなってきた(笑)

 

でもまぁ、要は『どんな場所であっても最終的に自分を何者かにするのは自分』ということだと思います。

 

誰かに何かを言われたから、環境がそれを期待しているから、ではなく、最終的には自分が選択できるんだ!ということが言いたいのかと。

 

いや、違うかもしれないけど。

 

もっと深い感じなんだけど、うまく説明できない(笑)

 

とにかくぼくはここら辺を「なんか、人間色んなしがらみがあるけど、意外となんでもできるし、どうとでもなるし、自由なんだぜ?」みたいなポジディブな感じで解釈しました。

 

『親がこう言ったから』とか『この仕事、辞めたいのに辞められない…』とか言っても、最終的には色んなしがらみの中で自分自身が納得してそこを選んでいるはずです。

 

納得していないにしても、最終的に選んでいるのは自分のはずです。

 

現状に文句や不満があるなら、それは自分の決定に不満があるということだと思います。

 

人生は思っているよりも、きっと自由です。

 

自分が本当にやりたいことをやってみても誰も文句は言わないし、文句を言ってきたとしてもそれで死ぬわけではありません。

 

どう生きても、どう行動しても、自分と違う人しかいない世の中で、万人に受け入れられるという事はまずありえません。

 

万人に好かれるよりも、まずは自分を好きになれる生き方が大事だと、個人的には思います!

 

 

苦しむ勇気

 


思いのほか長くなってしまったんですけど、もう少しだけ続きます。

 

意味への意思でも述べたように、フランクルは人生からの意味を求めていました。

 

そして『現在の苦しみも人生から与えられた重要な意味を持つものなのではないか』と考えていました。

 

というより、「そうでなければつらすぎる」という心理だったとは思いますが…。

 

「後から考えるとあの苦しみや辛い経験は大事な糧となっている」

 

こんなセリフをよく見ますが、これも苦しみをただ『苦しみ』として終わらせたのではなく、『人生にとって意味のあるもの』に昇華させている、と言えるんじゃないかと思います。

 

また、

 

苦しむことは何かをなしとげること。

苦しみは抑圧したり、楽観視してごまかしたりするものではなく、課題としてやり通さねばいけないものだった。

『時には涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。』

 

とも言っています。

 

苦しむ勇気

 

人は嫌なことや辛いという事実から目を背けがちです。

 

もちろん、それはそれでひとつの対処としては有効ですが、時には問題解決のためにそれらの苦しみと向き合うことも必要かもしれません。

 

また、強制収容所では苦しすぎる生活ゆえに『生を諦める人』も出たそうです。

 

点呼が始まっても動かず、ご飯の時間にも動かず、そのまま何もせず死んでいくそうです。

 

苦しんでいるということは、何かを諦めずに「どうにかしたい!」と心の奥底で思っていると言えると思います。

 

逃げずにそれらと向き合おうとしている証拠です。

 

今苦しいと思っている人は、どうかその苦しみを抱いていることを、諦めないで戦おうとしている自分を誇って欲しいと思います。

 

 

終わりに

 

ぼく個人としては、上記のような考察を得られたことがこの本に出会えた最大のメリットと言えるのですが、人によって見方は全然変わってくる本だと思います。

 

正直、全然伝えきれていないので、みなさんぜひ一度読んでみてほしいと思います。

 

 

 

他の方もレビューしているので参考までに載せておきます。

www.jinpe.biz

 

 

 

寒くなってきたので、みなさん体調管理には気を付けてください。

 

それではまた(^O^)