簡単にできる不安対策【書いて整理する】
みなさん、お疲れさまです!
まだまだ寒い日が続いています。インフルエンザも去年の10倍?流行っているとかなんとか…みなさん、体調管理には気を付けましょう。
さて、今日は『不安感情』への対処手段のひとつをご紹介します。
みなさんも、あれやこれやと考えてしまい、結局何をすればいいのかわからなくなってしまったり、30年後、40年後のような、先々の不安まで考えてしまってどうしようもなくなったことはありませんか?
そういう時に、少しは役に立つ方法かもしれませんので、是非読んでみてください(*^^)
不安という感情の前提
まず、誰しもが知っている不安という感情の、前提についてお話します。
①不安は0になることはない。自動的に湧いて出てくる。
②不安は人によって異なる。同じような状況であっても、不安の大きさや深さは人それぞれ。
③不安に対する『正解』はない。あったとしても、それは時と場合、人によって変わるもの。逆に、いくつも『正解』があるとも言える。
④不安を『なくすこと』を考えるのではなく、『減らす』、あるいは『付き合っていく』方法を考える。
言われてみたら当たり前のことかもしれませんね。
でも、不安が大きくなって胸がもやもやしていたり、思考が混乱していたりすると、これらを忘れてしまうこともあると思います。
不安を書き出していく
頭の中だけで、不安に思っていることをぐるぐる考えていても、一層混乱して不安が増すばかりの人もいます。
そんな時はノートやスマホのメモ欄に片っ端から書き出すのも有効な手段です。
具体的な方法を書いていきます。
考え事を書き出す前に
一度深呼吸して、自分の状態を見つめなおしましょう。
胸の中を色々な不安が渦巻いていて、頭の中がネガティブな考え事でいっぱいになっていて、「頭の中だけでは整理ができない」と感じたら、その内容を書いていきましょう。
考え事をノートに書き出して整理する
頭の中でぐるぐる回っている状態、混乱している状態だと、他人はもちろん、自分自身も何を不安に感じているか、何をしたらいいのかわかりません。
まずは、思いつくままに書いていき、感情の整理をしていきましょう。
その際、ひとりで考えると不安で落ち着かなくなることもあるかもしれません。可能なら、誰かと一緒に言語化しながら書き出していきましょう。
※調子が悪い時は無理に書き出す必要はありません。「あ、今書いた方がいいな」と自分が感じた時だけでも構いません。
不安項目をカテゴリー分けする
カテゴリーは大きく以下の3つに分けられます。
- 誰が何をしても解決不能なこと、今考えても答えが出ないこと
- 努力すれば解決可能と思われること
- 考えても仕方のないこと
※どの悩み・不安が、どうカテゴリー分けされるのかが分からない時は、誰かと相談しながらカテゴリー分けをしてもよいかもしれません。
1.3自分の力でどうにかできるものではない不安
まずは、この種の不安を感じてしまっている自分を見つめる(メタ認知:過去記事↓)
見つめることに慣れてきたら「また考えてしまってるぞ、考えても仕方がないことじゃん」と諦める方向に持って行ける可能性が高くなります。
※『諦める、逃げる』は言葉の響きはよくないかもしれませんが、決して悪いことではありません。むしろ、ストレス対処として有効な方策です。
そして、『自分の不安』を意識して感じられるようになったら、そのことを褒めましょう。(例えば、「何もわからない、混乱している状態よりは、不安の対象がはっきりわかってていいじゃん!」というように。)
2努力すれば解決可能と思われる不安
まずは、どのような方向に努力すればいいのかを考えましょう。(例えば、自分の考え方を変える、これまでと違う方法で関わる、『何もしない』をする、全然離さなかった人に話しかける、など。人間関係の不安の場合、相手の性格や考え方を変えるよりも、自分の考え方を変える方が早い場合もあります。)
思い浮かぶのであれば解決策①、解決策②のように、その不安に対する解決方法も書き記して欲しいです。
また、解決策が浮かぶという事は、『こうすればいい方向に向かうかも』というポジティブな考え方ができたということです。そのことを褒めてあげましょう。
※いくら『努力次第で解決可能』に見えても、いきなり『解決!』の状態には絶対になりません。少しずつ少しずつ、解決に近づいていく必要があります。また、最初に考えた解決の目標・到達点が、やはり不可能だと感じたら、途中で方向転換することも解決策のひとつかもしれません。不安の前提のところで述べたように、不安の解決に絶対の正解はないですから。
まとめ
不安で頭の中や胸の中がいっぱいになってしまった時の対処法として、『とにかく書き出してみること』をご紹介しました。
色々書きましたが、一度に色々なこと、すべてを頑張ろうとしなくても大丈夫です。
不安に対する前提を読んでもらって「あ、解決策ってひとつじゃないんだなぁ」と考える機会を得るだけでも十分です。
これらは、何が何でも『やらなければいけないこと』というものではありません。
このやり方が合わない人も当然いると思います。
「自分に合うな」と感じたら、少しずつ、自分のペースでやってみてください(^O^)
緊張・不安を和らげる呼吸法【6秒呼吸法・らったった体操】
みなさま、お疲れさまです!
最近は忙しいというか疲れているというか、あまり行動意欲がありません(^_^;)
まぁ、人間そんな時もあります。
上がり下がりを楽しみましょう。
さて、今日は呼吸法についての記事です!
心理学において呼吸法はとても重要視されます。
面接場面において、不安や緊張といった身体的・生理的現象は避けることができないからですね。
ここでは詳しくは語りませんが、トラウマを扱うPTSDの治療では特に重要視されます。
呼吸法やリラクゼーション法は色々あるのですが、今日は自分が普段使っている『6秒呼吸法』というものと、先日PTSDに関する研修に行った際に、体を使いながら学べる『らったった呼吸体操』という呼吸法?体操?を聞いてきたのでご紹介したいと思います。
呼吸法と緊張感
呼吸法は不安や緊張感を和らげてくれる効果を持ちます。
誰しも経験があるかと思いますが、発表前など緊張している時に、頭の中で『緊張するな』と繰り返しても、身体は言うことを聞いてくれませんよね?
そんな時は、『まずは深呼吸をする』ということを無意識にしていると思います。
深呼吸の『大きく息を吐く』という動作は、身体をリラックスさせる効果があるからです。
このように、無意識でしていた呼吸によるリラクゼーション法をパッケージ化したものが、呼吸法なのです!
6秒呼吸法
個人的に使っている呼吸法です。誰でも、すぐできます。
- 背筋をぴんと伸ばして、ゆっくりと息を吐きながら背中の緊張を緩め、目を閉じる。
- 吸っている息を口からゆっくり吐き出す。
- 吐き出せたら、鼻から息を吸う。吸い込めなくなるまで吸う。
- ゆっくり6秒使って全部吐き出す。限界まで吐き出すのがポイント。
- 1~4を何度か繰り返す。
これだけです。
コツは吐くことにあります。
吐く息とともに、イライラや身体の疲れ、不安や緊張、日頃の鬱憤などを身体の外に吐き出すイメージを持って行います(イメージ呼吸法)。
そして『ゆっくり、ゆったり』を意識しながら楽に続けるのを意識してください。
全部終わったら、軽く伸びをしたり、腰を回したり、軽く身体を動かして、気持ちや気分が少しでもスッキリしたことを確認しましょう。
『6秒』としていますが、慣れてきたら秒数ややり方にあまりこだわらず、自分のやり方でやってみてください。
らったった体操
元々は、呼吸生理学が専門の本間生夫医師が呼吸改善・健康増進・精神安定を目的として開発した呼吸筋のストレッチ体操がオリジナルになります。
それを子どもでも簡単にできるようにと再編成したものが、『らったった体操』になります。
まずは動画をご覧ください。
一度やってみるとわかりますが、かなりリラックスできます!
このらったった体操は、東日本大震災で被災した子どもたちの心を、呼吸生理学を応用したストレッチでケアするのにも使われたみたいですね(*^_^*)
その他にも、介護施設などで利用されているそうです。
そもそも呼吸とは息を吸って息を吐くことですが、正しくない呼吸をすると脳の不安感情などを生み出す部位が反応するとかなんとかの理屈があり、逆にそれを正しい呼吸法で整えてあげることで不安を和らげ、心に安らぎが生まれるんだとか。
体操の基本となるパターン
体操には大きく分けて以下の5つの動きのパターンがあります。
体操のポイント
体操のポイントは3つです!
①呼吸はゆるやかに
ゆっくり「鼻から吸う」、ゆっくり「口から吐く」ように呼吸する
②メリハリを大切に
筋肉を伸ばす、縮める。動きにメリハリをつけて体操を行う
③無理をしない
無理な体勢になったり、力を入れすぎないように気を付ける
まとめ
今回ご紹介したのは2つだけですが、呼吸法、リラクゼーション法は数えきれないほどあります。
その中には、自分の合うもの、合わないものがあるでしょう。
合うものを見つけることができれば、不安・緊張場面で大きな武器になります。
色々と探してみてください(^o^)
機会があれば他の方法もご紹介したいと思います!
『怒り』をコントロールするための簡単な3つの方法
あけましておめでとうございます。
読者のみなさん、昨年はこんな拙いブログをご覧いただきまして、感謝です。
今後も、マイペースにのんびりと書き進めていきますので、お手すきの際には覗きに来てくれたら嬉しく思います。
さて、今日は『怒り』という感情についてお話ししたいと思います。
誰もが日常的に抱えているこの感情ですが、どういう時に生起するんですかね?
今日はその辺を改めて考えていきたいと思います。
『怒り』の定義
大体どの辞書でも
おこること。いかること。腹を立てること。
のように書かれています。
これは、もうそのままですね。はい。別に悪くはないです。
ただ、これだとそのまま過ぎて面白味はないので、もう少し肉付けします。
まず、『怒り』は感情のひとつです。
そして、感情とは心理学的には『特定の対象に対する気持ちの動き』のことなので、『怒り』もなにか対象があると言えます。
物に対して、親に対して、教師に対して、自分に対して、などですね。
怒りの対象がなにもなくて腹が立つ人はいません。
何もないように見えても、何かには腹を立てているはずです。
つまり、『怒り』とは、ひとりで勝手に起こるものではないということが言えます。
では、どのように『怒り』が生起するのでしょうか。
『怒り』の生起
心理学的には、『怒り』は
欲求充足が阻止された時に、その阻害要因に対して生じるもの。
と定義されます。
少し言葉が難しいのでわかりにくいですが、要するに『あれをしたい』『こうしてほしい』などの欲求が、誰かや何かに邪魔されたときに、その邪魔をしてきた人や物に対して『怒り』の感情が生まれる、ということですね。
蛇足かも知れませんが、個人的には、『期待』をしているからそれが叶わなかったときに『怒り』が生まれる、という感覚の方が分かりやすいです。
例を考えてみます。
①親から「勉強をしなさい!」と言われた中学生Aが「うるせぇんだよ!」と怒る。
→Aは、『言われなくてもわかっていることを言わないでほしい』という欲求、あるいは『言わないでいてくれるだろう』という期待を持っていて、それが叶わなかったので怒った、と解釈できます。
②電車で大声で電話をする若者に対してイライラする会社員B
→『常識的には電車では電話はしない、静かにするだろう』という期待を裏切られたことに対するイライラ
③男性との食事で割り勘だったことに憤慨する女性C
→『男性は女性に奢ってしかるべき』という期待が裏切られたことに対する怒り
要するに、意識的にせよ無意識的にせよ「邪魔が入らなければ充足されるはず」「充足されるべき」と考えている、感じている「欲求(期待)」が、その通りにならなかった時に、人は『怒る』ということです。
学校はこういうところ。
夫ならこうするべき。
嫁はかくあるべし。
電車ではこれが普通。
常識的に考えて遅刻なんて。
そうしてくれると思ってたのに。
上記のような考え方が根っこにある人ほど、それらが叶わない時に『怒り』ます。
つまり、『怒りやすい人』は『他人(周囲)にあれこれと期待してしまっている』ということなんですね。
逆に『怒りにくい人』は『他人(周囲)に期待せず、自分でどうにかしようと思っている人』と言えるかもしれません。
良くも悪くもクール(冷めてる)というんですかね。
怒らなくなったらそれはそれで人間ぽくないと言われるかもしれませんので、ほどほどを目指しましょう(笑)
『怒り』のコントロール
ある意味、自動的に生まれるといってもよい感情をコントロールできるのしょうか。
アンガーマネジメントという言葉もすっかり定着した?昨今ですので、それ系の本やブログはたくさんあります。
なので、ここで言及することではないかもしれませんが、本を読んだり他のブログにわざわざ行くのめんどくさい、という方のために簡単ではありますが載せておきます。
①怒りの対象と原因を明らかにする。
怒りには対象があることは既に述べました。
しかし、自動的に生まれる『怒り』について考えることは多くないと思います。
「自分は今何に怒っているんだろう」とか「なんでこんなに腹を立てているんだろう」などです。
いつも言っているメタ認知ってやつですね。
メタ認知についてはこちら↓。
そうすると、「あ、自分は嫁がご飯を作るべきと思ってたんだ」「電車で化粧はしてはいけないと決めつけていた」「子どもは親の言うことを聞くべきだと思っていた」など、根っこにある自分の考え方に気付けます。
気付いた後は、修正できそうなら修正したらいいし、どうしても自分にとって譲れない部分なら相手の人と話をして妥協点を見つけてもいいかもしれません。
まずは、自分の考え方の癖に気付くところからがスタートだと思います。
怒る時は大体同じような理由で怒っているものなので、根っこの考え方や価値観について考えてみてください。
②諦める
どうにもならないことってありますよね。
出かけようとした日の天気が最悪で、そのことに対してずっと腹を立てても天気は変わらない。
だから諦める(切り替える)。
雨の日しか行かないようなところに行けた、とポジティブに考える。
それは無理でも、「天気はしゃあないよなー」と諦める。
相手の価値観が明らかに違う場合、「この人はこういう人だもんな」と諦める、というのは無意識的に誰だってしていると思います。
自分と違う価値観の人にいちいち腹を立て続けるエネルギーの方がもったいないから、自然とそうしているんですね。
無意識的にしていたことを、意識的にするだけで怒りが少し収まるということもあるので、よかったら意識してみてください。
③6秒間耐える。
これは、ぼく自身はあまりやったことがありませんが、アンガーマネジメント界隈では常識みたいです。
怒りの持続力はかなり短く、6秒間だと言われているらしく、その6秒を凌いだらそこまで大きな怒り行動はしないとのことです。
深呼吸をする、気にしない気にしないと呪文のように唱える、100から数字を引いていく、などいろんな方法があるみたいですね~。
心理学でも使われる筋弛緩法もいいかもしれないですね!
筋弛緩法は3つのステップで簡単にできます。
- 身体の特定の部位に、ぎゅーーーっと力を入れる。
(全力ではなく、70%の力で行ってください。) - そのまま5~6秒キープする。
- スーッと脱力し、10秒ほど力の抜ける感覚を味わう。
脱力感を存分に味わうところまでが筋弛緩法です!
色んなところで使えるので、覚えておいてもいいかもしれません(^O^)
まとめ
怒らない人はいません。
そして『怒り』は自分の奥底から自動的に湧いてきます。
他者や環境、社会、あるいは自分自身に対する期待が思い通りにいかなかった時に生起します。
その期待がどういうものなのか、自分の中のどういう部分からくるのかの起源を探ることは、『怒り』感情をコントロールできるようになるだけでなく、自分がどういう価値観を持っているのか考えることにも繫がります。
今度怒った時にじっくり考えてみてください\(^o^)/
悩み事は吐き出してすっきりしよう【カタルシス効果】
こんばんは~。
この前読者数が急に増えたんですけど、思い当たるふしがまったくなくて、??ってなってたんですけど、何の気なしに購読中のブログ欄を見てたらその答えがありました!
はてなブログの『こんなブログもあります』のところに自分の名前とブログタイトルが出てたんです!!
こんな弱小ブログに貴重なスペースを割いてもらって申し訳ない&ありがたい(*^_^*)
新しく読者になった皆さん、末永くよろしくお願いします\(^o^)/
今日はカタルシス効果というものについてご紹介します!
誰かに悩み事を話してすっきりする感覚、あれのことですね!
まぁ、このように、みなさん知っているであろうことにわざわざ心理学的に難しい名前がついているだけの概念ですので(笑)、さらっといきたいと思います!
カタルシス効果
演劇用語、哲学やら医学、心理学、最近では恋愛のコツとしても(?!)、などなど幅広く使われている言葉です。
心理学では浄化作用とも言います。
元々の語源はWikiさんによると、
悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果
とされています。
なんのこっちゃですよね。
この定義はかの有名な哲学者アリストテレスさんが、演劇用語としてカタルシスを使った時のものです。
悲しいもの(ここでは悲劇)を観て、自分も悲しい感情になり、その感情をきちんと吐き出すことで精神が浄化される、という意味で使っていたようですね。
この定義のように、浄化、排泄、燻蒸*1など、要するに『不浄、悪いものを吐き出すこと』の意味で使われている印象です。
溜まっているものを出してきれいにするってことです。
そして、心理学においては『不安や緊張などの原因となっている欲求や感情や衝動などの心の動きを、言語や行為を通じて解放させること』という意味で使われます。
つまり、『誰かにもやもやなど溜まっていることを聞いてもらい、吐き出してすっきりする感覚(快を感じる)』ですね。
悩み事を打ち明けてすっきりする感覚を思えば、結構理解しやすいと思います。
あるいは、つらい時にはおもいっきり泣く、という行為もカタルシスと言えます。
つらい気分の時に、泣ける映画を観て泣こうとする行為もアリストテレスの例の通り、カタルシスと言えそうです。
まとめ
つらい思いや悩み事が抱えている人、うまく言えないもやもやが溜まっている人、たくさんいると思います。
また、そういう思いを人に吐き出せない人、また「人に話したところで…」と諦めてしまう人も多いと思います。
でも、話して楽になる、泣いて楽になる、聞いてもらってすっきりする、ということは心理学的にも十分にありえることなんです。
それが、実際の解決に結びつかなくてもです。
なので、ひとりで抱えずに誰かに打ち明けてみてはいかがでしょうか。
*1:主に害虫駆除や防カビ・殺菌の目的で、気体の薬剤を対象に浸透させる方法
ブログ名「しなやかなこころで、」とレジリエンス効果
こんばんは。
前回の箸休め記事が20記事目だったんですね(笑)
なんてこった。
20記事目にブログタイトルについて書こうと思ってたのに(笑)
ま、いっか。
さて、今日は満を持して?ブログタイトルについてです!
『しなやかなこころで、』という名前をつけました。
ブログを始めるにあたって色々考えたんですけど、結局自分のメインテーマというか、価値観がタイトルとしてしっくりきました。
しなやかさとは、心理学用語でいったらレジリエンスになります。
ここらへんの概念も少しご紹介していこうと思います。
『しなやかな』という形容詞
実用日本語表現辞典では
動作などが柔軟で堅苦しいところのないさま、優美なさま、などを意味する表現。
とあります。
まぁ要するに柔軟なイメージですね。
この言葉は、しなう【撓う】という動詞からきているそうです。以下、大辞林から引用です。
しなう【撓う】
弾力があって、力を受けたときにしなやかに曲がる。
柔らかいけど、強い、みたいなイメージがしますね。
ことわざで言ったら『のれんに腕押し』『柳に風』といった感じでしょうか。
このしなやかさが仕事をする上で、生活する上で、生きていく上で非常に重要なんじゃないかと思っています。
レジリエンス
これも同じように柔軟さや弾力性を表す心理学用語なので、ついでにご紹介します。
最近、新人看護師の研修でも紹介した概念です(笑)
英語ではresilienceと書きます。
これは『跳ね返り、弾力、回復力、復元力』という意味を持つ言葉だそうです。
転じて、『さまざまな環境・状況に対しても適応し、生き延びる力』として心理学では扱われます。
まぁ、要するにストレスに対処する力のひとつと考えていいと思います。
レジリエンスの視覚的イメージはこんな感じです↓
かなり大雑把で汚いですが、まぁこんな感じです(笑)
なにかストレスがかかるなどして凹む状態になったとしても、そこから回復する力、弾力性がレジリエンスということですね。
後述しますが、凹む要因になったことに対する対処力を上げることで、元の状態に戻るだけでなく、+αの自分になることを意識するとそもそも凹みにくくなっていくと思います!
レジリエンスの対義語や類義語
レジリエンスという概念をもう少しわかりやすくするために、対義語や類義語を考えてみます。
- 対義語代表…脆弱性(もろさ、壊れやすさ)
- 類義語代表…頑強静(強さ、逞しさ、堅牢な)
頑強性は『the 強さみたいなイメージ』で言うなれば【剛】の強さだと思います。
レジリエンスは柔らかい強さのイメージなので【柔】の強さとでも呼べばいいかもですね!
【剛】の強さは、折れなければある意味最強ですが、折れたときがもろかったりします。
失敗を知らないで順風満帆に進んできた自信に満ち溢れた人が、一度の失敗で立ち直れなくなる、みたいなストーリーを想像したらわかりやすいかと思います。
あるいは、ガラスや岩は硬いですが、高いところから落としたらあっさり割れます。一方、ゴムは大してダメージがないでしょう。まぁ、そんなイメージです。
レジリエンスを高めるには
色々な要素がありますが、ここでは感情コントロールと、先の見通し、学習について話したいと思います。
①感情コントロール…自分の感情を客観的に理解し(メタ認知)、自分の支配下に置く。ものごとに一喜一憂せず、柔軟にとらえる。
メタ認知については↓の記事をご参照ください。
②予見(先の見通しを立てる)…これから起こるであろうことを考えておく→不意打ちよりダメージが少ない。
③学習…起こったことを頭の中で復習し、次同じことが起こった時に対処できるようにする。
これらを意識することで、レジリエンスを高めることができます。
そして+αとして、『同じことでは凹まない自分』『凹んだとしてもより早く立ち直る自分』『同じようなことがあった時に動ぜずに対処できる自分』などの姿を目指しましょう!
要するに『Plus Ultra!!』(僕のヒーローアカデミア↓より)ってことですね!!
まとめ
このブログは、ぼく自身が『しなやかなこころで、』生きていくための手段でもあるし、何か縁があって読んでくださっているみなさんが『しなやかなこころで、』日々を生活するための微々たる何かになれればと思って書いています。
社会や世界、他人はそう簡単に変わらないけど、自分のこころは少しずつでも変えられます。
このブログがそのためのヒントになったり、背中を押すことができたら嬉しいなぁ。
【書籍レビュー】甘えの構造/土居健郎
こんにちは。
今日は心理学的にも一般書としても有名な『甘えの構造』についてレビューしたいと思います!
これも以前記事にした『夜と霧』と同じく読みたかった本のひとつです。
以前の記事はこちら↓ ついでに読んでくれたら嬉しいです\(^o^)/
『「甘え」の構造』って?
心理学者の書いている名著としてあまりにも有名な本のことです!
この本の作者は精神分析医として有名な方で、心理学の世界では名前を知らない人いない(たぶん)ほどの人です。
そしてこの人を有名たらしめたのが、この本の存在です。
ざっくり要約すると「甘え」という日本人特有の精神構造を解き明かすことで、いわば「日本人論」「日本人観」について論じている本です。
どちらかと言うと、精神構造そのものよりも、そちらに重きが置かれている印象で、だからこそ多くの文化人類学者や社会学者に読まれる本ともなったいるのでしょう。
何か国語にも翻訳され、日本人だけではなく、日本に興味のある外国人が日本人を理解するために読む本ともされているようですね。
内容は、正直難しいです(笑)
なんでもかんでも「甘え」で説明しようとするのも無理があるんじゃないかなーって思ったり、結局「甘え」の精神構造は?ってなったりしました(笑)
そんな本でしたが、分かる範囲で、できるだけ分かりやすくご紹介したいと思います。
「甘え」とは
まずこの「甘え」なる概念、驚くことに外国には存在しないらしいんです。
ただ、ここでいう「甘え」とは単純な『子が親に甘える』だけではない、深い意味があるようです。
例えば、
①誰かに何かを頼む
↓
②相手はそれに対して承諾してもいいし、断ってもいいはず。要は選択権があるはず。
↓
③相手がそれを断った時、そのことに対して不満を感じる
この③!不満を感じる心理!
もちろん不満に思わない場合もあります。
が、誰しもこういう場面を経験したことがあるのではないでしょうか。
その心理こそが、「甘え」に由来すると土居さんはおっしゃっているのだと思います。
上の例を簡潔にすると、「相手に選択権を与えておきながら、それが自分の意に沿わないと気に入らない」ということなのですが、この背景には『相手は自分のためにこれをしてくれるはずだ』という自己中心的な期待があるということです。
この自己中心的な他者に対する期待こそが「甘え」なのかな、と解釈できます。
これが欧米の場合だと(※筆者は日本から出たことがありません)、「OK. Also ask you.haha」みたいな感じでさらっと終わるのでしょうか。
そして、このような相手の行動を自己中心的に推し量り、相手がその通りに動くはずだという根拠のない自信が、個人の内に根付いているのが日本社会なのだと思います。
日本人は嫌われたくない人種
怒られる技術↓でも触れましたが、日本人は怒られたがらないですよね。
もちろんぼくもできることなら怒られたくないです(笑)
なぜ怒られたがらないのか。
それは他者に嫌われたくないから、という見方もできますよね。
少し話はそれますが、日本人は「申し訳ない」とい言葉をよく使いますよね。
何かしてもらった時に「ありがとう」だけではなく、「ごめんね、ありがとう」と「ごめん」をつけたり、「すまんね」と詫びの言葉を用います。
これは、その何かしてもらった際の労力に対して詫びを言っているのだと思いますが、なぜ詫びを入れる必要があるのか。
本書ではこの点について
詫びないと、相手が非礼と取って、その結果相手の行為を失いはしないかと恐れるためといえないだろうか。
すなわち、相手の行為を失いたくないので、そして今後も末永く甘えさせて欲しいと思うので、日本人は「すまない」という言葉を頻発すると考えることができる。
と述べられています。
つまり、相手の労力や迷惑を想像してまで詫びを言うのは、「今後も関係を続けさせてね」というメッセージを発信していることになり、これがすなわち「甘え」だということでしょう(たぶん)。
日本人はそういう意味で「甘え」たがりな人種で、ポジティブに言ったら人との関係を大事にする人種とも言えるのかな~とか考えていました。
土居さん自身は「甘え」を良いものとも悪いものとも定義しておらず、ただの特性のように思っていたと思います。
詫びとかクッション言葉とかは、日本においてはむしろ重要な社会的スキルと言ってもいいかもしれませんしね。
その他にも「遠慮」とか「内と外」と色々面白そうなネタがあるんですけど、長くなるし、たぶんうまく伝えられないのでここら辺でやめておきます(笑)
なんとなくでも「甘え」概念が伝わったらいいかな~と思って書いてるので!
時代が違うので「ん?」って思うところもありますし、文章が難しいのですが、機会と興味があったら是非読んでみてください~
【書籍レビュー】臨床心理士として『夜と霧』を読んで感じた3つのこと
こんにちは~
今回は『夜と霧』のレビューです。
いやレビューという程大層なものでもないのですが(笑)
まぁ、感想みたいなものです。
この本は、言わずと知れた名書です。
NHKでも何度か取り上げられてたみたいですね。
読みたいと思ってなかなか読めていなかったのですが、最近ようやく読めました。
著者のヴィクトール・E・フランクルが第二次世界大戦中の強制収容所での体験を詳細に語った手記であり、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺、いわゆるホロコーストの体験記です。
和訳タイトルの由来は『 夜と霧にまぎれてナチスが人々を抹殺する』といった意味で使っていた作戦名から来ているそうです。
ちなみに原著のタイトルは『心理学者、強制収容所を体験する』。
人間は何を見るのか、何を感じるのか、人間とは何か、死とは、人生とは…深く考えさせられました。
同時に、臨床的にも役立つ考え方がいくつか見受けられたので、今回はそちらの考察をしたいと思います。
歴史的な考察や哲学的な考察は多くの方がしてらっしゃるようなのでそちらを参考にしてください。
意味への意思
これを語らずしてフランクルは語れないですよね。
教科書にも出てくるような超有名な概念です。
強制収容所における被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義されるとフランクルは言っています。
収容所の生活は、いつ終わるかわからないままに続きます。
つまり、無期限・無制限に暫定的な存在から何者にもなれない人間ということです。
また、
終わりに見通しがつかない人間は、目的をもって生きることができない。
とも記しています。
実際、臨床現場では「いつまでこの苦しみが続くのかの見通しが立てられない」「未来について考えることができない」という方がおられます。
このような状態にある人間を精神的に奮い立たせるには、何よりもまず未来や生そのものに目的を持たせる必要があります。
しかし、それでもなお「生きていることに、もうなんの期待も持てない」と諦める人も、現実にいます。
このような人になんと言葉をかけたらよいのでしょうか…。
ここで、フランクルの『意味への意思』が登場します。
フランクル曰く
わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ。
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。
わたしたち(被収容者)にとって生きる意味とは~中略~苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた。
いやー、もうここら辺は哲学めいてて、正直理解が及ばないところも多々ありました(笑)
でも、要するに、それは仕事だったり、家族だったり、他者だったり、物だったり、人によってそれぞれ違うけれど、『生きること』は各人に何かしらの要請をしていて、それに答えていくことが結果として生きる意味になる、みたいなことだと思います。
シンプルな『人間は生きる意味を求める生き物だ』みたいな教科書的説明では語れない高次元の概念だと思いました。
進むべき道に困った時や先に進めそうもないときは、『私の人生は私に一体何を要請しているのだろう』といつもと違った視点で考えることも有効かもしれませんね。
人間の精神的自由
そして、そこで生活する人間の心理を観察・分析していました。
多くの人はその厳しい環境に負け、というより適応するために感情を消滅させたり、暴走させたりしていた、そしてそれが至極当然だったと言います。
しかし、どんな人間も一様に同じような精神状態になったかと言われればそうではなく、「わたし」を見失わない英雄的な人の例も見受けられたとの事です。
本の中で出てくる
『通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲る人』
『自分のポケットマネーで薬を買ってくる監視官』
などがその一例です。
このような人の行動は、一般常識から考えると「あーそういう人いるよね。自己犠牲的な優しい人」みたいに見えるかもしれません。
ブログに書いてるとそこまで大した行動に映らないのは、残念ながらぼくの文章力のせいです。
本を読んでみるとわかるのですが、これはあり得ないことなのです。
上述した通り、過酷な収容所生活を送るうちに、普通は感情を消滅させたり、暴走させたりしていきます。
適応のためには、それが至極当然であることは読んでいく内に納得できます。
だがしかし、それでもなお、英雄的な行動を『選択』できる人がいるのです。
人間は身体的、精神的、社会的に規定された条件をものともせず、自分の自由を選択できるのです。
書いててわけわかんなくなってきた(笑)
でもまぁ、要は『どんな場所であっても最終的に自分を何者かにするのは自分』ということだと思います。
誰かに何かを言われたから、環境がそれを期待しているから、ではなく、最終的には自分が選択できるんだ!ということが言いたいのかと。
いや、違うかもしれないけど。
もっと深い感じなんだけど、うまく説明できない(笑)
とにかくぼくはここら辺を「なんか、人間色んなしがらみがあるけど、意外となんでもできるし、どうとでもなるし、自由なんだぜ?」みたいなポジディブな感じで解釈しました。
『親がこう言ったから』とか『この仕事、辞めたいのに辞められない…』とか言っても、最終的には色んなしがらみの中で自分自身が納得してそこを選んでいるはずです。
納得していないにしても、最終的に選んでいるのは自分のはずです。
現状に文句や不満があるなら、それは自分の決定に不満があるということだと思います。
人生は思っているよりも、きっと自由です。
自分が本当にやりたいことをやってみても誰も文句は言わないし、文句を言ってきたとしてもそれで死ぬわけではありません。
どう生きても、どう行動しても、自分と違う人しかいない世の中で、万人に受け入れられるという事はまずありえません。
万人に好かれるよりも、まずは自分を好きになれる生き方が大事だと、個人的には思います!
苦しむ勇気
思いのほか長くなってしまったんですけど、もう少しだけ続きます。
意味への意思でも述べたように、フランクルは人生からの意味を求めていました。
そして『現在の苦しみも人生から与えられた重要な意味を持つものなのではないか』と考えていました。
というより、「そうでなければつらすぎる」という心理だったとは思いますが…。
「後から考えるとあの苦しみや辛い経験は大事な糧となっている」
こんなセリフをよく見ますが、これも苦しみをただ『苦しみ』として終わらせたのではなく、『人生にとって意味のあるもの』に昇華させている、と言えるんじゃないかと思います。
また、
苦しむことは何かをなしとげること。
苦しみは抑圧したり、楽観視してごまかしたりするものではなく、課題としてやり通さねばいけないものだった。
『時には涙することもあった。だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。』
とも言っています。
苦しむ勇気。
人は嫌なことや辛いという事実から目を背けがちです。
もちろん、それはそれでひとつの対処としては有効ですが、時には問題解決のためにそれらの苦しみと向き合うことも必要かもしれません。
また、強制収容所では苦しすぎる生活ゆえに『生を諦める人』も出たそうです。
点呼が始まっても動かず、ご飯の時間にも動かず、そのまま何もせず死んでいくそうです。
苦しんでいるということは、何かを諦めずに「どうにかしたい!」と心の奥底で思っていると言えると思います。
逃げずにそれらと向き合おうとしている証拠です。
今苦しいと思っている人は、どうかその苦しみを抱いていることを、諦めないで戦おうとしている自分を誇って欲しいと思います。
終わりに
ぼく個人としては、上記のような考察を得られたことがこの本に出会えた最大のメリットと言えるのですが、人によって見方は全然変わってくる本だと思います。
正直、全然伝えきれていないので、みなさんぜひ一度読んでみてほしいと思います。
他の方もレビューしているので参考までに載せておきます。
寒くなってきたので、みなさん体調管理には気を付けてください。
それではまた(^O^)
メタ認知によって得られる大きなメリット
こんにちは~
最近指をガラスコップの破片でざっくりいってしまい、救急で縫ってもらったHecoです。
みなさん、ガラスコップを洗う時は慎重にいきましょう…
さて、今日は【自分を見つめること】と題しまして、メタ認知の話をしたいと思います!
聞いたことある方も、ない方もいますよね。
なんか難しそうに聞こえるこの言葉、蓋を開けてみたら「あ、そのことね!」ってなると思います。
みなさん、多かれ少なかれ自然とやっていることだと思います。
目次です(*^^)v
歴史や定義
メタ(meta)とは「高次の」を意味する接頭語ですね。
定義は、『自己の認知活動(思考とか知覚とか感情など)を客観的に捉え、評価した上で制御すること』だそうです。
『認知を認知する』とも言えます。
要するに、自分が「考えている(た)ことや感じている(た)こと」を考える、みたいなことです。
客観的、俯瞰的に自分を見て評価する感じですね。
まだ、なんのこっちゃ、ってなる人が多いと思います。
具体例を出していきましょう。
例えば、友人と喧嘩をしてしまって言いたくもないことを言ってしまったとします。
それについて「あぁ、自分はどうしてあんなことを言ってしまったんだろう。もう少しこういう言い方をしたらよかった。」のように自己を振り返り、その先の行動についても考えること、ということです。
あるいは、人と話す時に、「自分ばっかり話してるな。もう少し相手の話を聴くようにしよう。」のようなこともメタ認知をしていると言えます。
かの有名なソクラテスの名言『無知の知』も言ってしまえばメタ認知のことです。
「自分が知らないということを知れ」ということですから。
メタ認知することのメリット
では、「メタ認知ができるからなんやねん、なんかええことあるんか?」ということについて考えていきます。
まず、自己を客観視するわけですから、自分がどのような人間か分析できるようになります。
どのような人間、とまでいかなくても、例えば、自分は「こういう場面ではこう振る舞う人間だ」というような行動(あるいは思考)パターンがわかるようになってきます。
そして、それらのパターンがわかってくると対処方法や解決策が見えてきます。
例えば
①後輩のなにげない言動にイライラする
②どうしてイライラするのか考える←メタ認知
③「後輩は普通ならこう動くはずだ!」という自分の認知パターンに気づく
④後輩とそれを話し合い共有する。あるいは、自分の中でその「普通なら〇〇はずだ」という認識を改める。
④はあくまでも一例に過ぎないので、もっといい解決策があるかもしれません。
なんにせよ、原因となる認知がわかれば、それに対する対処方法も見えてきます。
結果的に、自身の悪感情や行動が変化することにつながります。
ケンカにおけるメタ認知
ケンカ中など、イライラしたり、混乱している時、感情が優位になっている時はこのように自分の思考や言動を振り返る余裕がないかもしれません。
しかし、その感情の波が通り過ぎたあと、「自分に非はなかったかな、言い方キツかったな」など振り返ることはとても大切です。
また、最も大切なことは『振り返ったことを、相手ときちんと共有すること』です。
自分の中で解決した気にならず、「あの時はこういう気持ちだった。」「あの言葉が嫌だったからそうなってしまった。」「あの言い方はきつすぎた。」などきちんと伝えることが大切です。
親友でも、夫婦でも、兄弟でも、恋人でも、結局は自分とは違う人間です。
何を考えていたか、何を考えているかは絶対に理解しきれません。
だからこそ、その時々の感情や考えを言葉にして伝えることが大切だとぼくは思います。
そしてその感情や考えなどに気づくために、メタ認知を意識することが役に立つかもしれません。
おまけ
余談ですが、メタ認知も含む大きな概念にEQ(Emotional Quotient)というのがあります。
心の知能指数と訳されてます。
これは、自己の感情に気づきコントロールする能力や、他者の感情に共感、理解する能力を含む幅広い概念です。
一時(今でもかな?)ビジネス分野で流行ったみたいです。
卒論で使った概念なのでこれについても記事にできたらいいなぁ。